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心と体を磨く生き方(2024.12)
今月号は、本紙2面のコラム「凛として生きるーダンディズム」を執筆して頂いている医師の帯津良一先生にお話を伺います。
がん治療を専門に、人間丸ごとを対象にした「ホリスティック医学」の権威でもある先生は、心や体、認知症やがん、死について、どのようにお考えなのでしょうか?
【農民出から外科医へ】
参沢) 今日はお忙しいところ、お時間を頂きましてありがとうございます。帯津先生は現在、池袋と川越の病院の名誉院長として、毎日患者さんの診察をされていますね。
週刊朝日や家庭画報、AERAなど、色々な雑誌に連載され、NHKの「特選・趣味百貨」にも出られていましたね。
協会の会員様もご高齢になられて、健康に対して敏感になられていますので、今月号では先生に、「心と体を磨く生き方」というテーマでお話を伺いたいと思います。
まずは、先生のプロフィールを教えて頂けますか。
帯津) 昭和11年生まれで、川越市に住んでいましたが、越境入学で都立小石川高校に入りました。
大学は東京大学の医学部です。卒業した後は、東大の第三外科に入りました。私は研究者や教育者は向いてないから、一介の町医者になろうと思ったんです。
町医者は一人でやるわけですから、一人でやれる事を多く身に付けようと。そうすると、どうしても内科より外科になるんです。東大には脳神経外科の第一外科、心臓外科の第二外科とありますが、どちらも花形です。私は農民の出なので、こういうのが嫌いなんです。それで第三外科に行ったら、先生が薄汚れた白衣を着て、下を向いて歩いていた。これが気に入って第三外科に入りました。
入って3年目に、教授の命令で、食道がんを担当してくれと言われました。消化管の手術では、食道がんは一番難しいんです。しかし当時は教授には逆らえない時代。宿命だと思って受けることに。そして食道がんをやる以上は名手になろうと思ったんです。
1975年には、東京都が都立駒込病院に「がんセンター」をつくり、全国からスタッフを集めました。当時、私は静岡で開業しようと思って準備していたんですが、東京の教授から連絡があって行ってくれないかと。これも宿命だと思い、行くことに。
続きは本誌にて…