相続税の評価_やりすぎはダメ、ではどこからがやりすぎか?
先日、相続に携わる業界が注目した相続税の評価をめぐる最高裁の判決が出ました。
詳細は新聞その他いろいろなところで解説しているので細かく触れることはいたしませんが、要するに「やりすぎは駄目よ」という国の最上級司法機関の判断です。
相続税評価のルールに沿って申告したものが、具体的な指標が示されることもなく「やりすぎは駄目、他の納税者と比べて不公平」と言われても消化不良のような気もしますが法治国家なので、この判断が判例となり今後いろんな所で判断の物差しとなるのでしょう。
しかし、どこまでいっても「どこからがやりすぎか」という議論に立ち戻り、具体的な物差しが示されなければ、あるいは相続税法や相続税の評価通達等が改正されなければ同じような争いは続くでしょう。
そもそも相続税上、財産の評価は相続発生時点の時価が原則です。
現預金や上場株式など取引市場があり、相場が成り立っているものを評価するのは何も問題はありませんが、不動産は二つとして同じものがないうえに個別性が強く、同じ土地が頻繁に取引されるわけではないため評価が非常に難しい資産です。
このように評価の難しい資産を客観的に評価する物差しとして「路線価」が登場したのです。
しかも時価のわかりづらい土地に国が値段を付けるわけですから、時価より高くなってしまうと、それこそ公平ではなく問題になりかねません、そこで国は時価より概ね2割ぐらい下げれば大丈夫だろうという割り切りで路線価を付しています。加えて、より実態に近づけるために、道路付けや間口、奥行きや土地の形などによって細かく加算、減算するという現在の相続税評価のルールがあります。
この方法は土地については非常に合理的で実際の取引価格に近いものといえるでしょう。しかし前述したように不動産は土地だけではありません。
今回の裁判で問題になったのは収益マンションです。
収益マンションの実務上の取引指標は土地がいくら、建物がいくらではなく、そこから得られる収益をもとに期待利回りで算出され取引されます。そこに前述した路線価による相続税の評価方法との決定的な違いが生じています。
結果的に時価と相続税評価額との乖離が大きくなりやすく、その乖離が大きければ大きいほど相続税が減少するのです。相続に携わる人であれば昔から、誰でもわかる理屈です。
ここでの問題の一つは、相続税の評価をするルールには土地、建物の評価方法は細かく規定されていても土地と建物とが一体となって収益を生む収益不動産を評価するための物差しがないということです。物差しがないがために、それを逆手に取って、とりあえずある物差しで測ったという納税者等の気持ちはわからなくもありません。
収益不動産の評価は還元利回りを何%とみるか、と一見単純そうですが、その還元利回りをどうするかは、絶対的な利回りの指標はありませんし、建物の立地、構造、規模、経過年数、用途などによっても非常に難しい部分です。
今回の問題を受けて、もしかしたら今後は利回りを基本とした収益不動産の相続税評価上の物差しができるかもしれません。
これができれば一つの指標として不透明な不動産取引市場にも好影響を与えるのではとも思います。
それにしてもどこまでがやりすぎなのでしょうか。もやっとしています。
(著者:不動産コンサルタント 伊藤)