遺言の功罪
2018年、相続法が大幅に改正されました。中でも自筆証書遺言の方式の緩和や、自筆証書遺言の保管制度の創設によって、改めて遺言の重要性が注目されております。方式の緩和により、不動産のように分けづらく評価が難しい財産がある場合や財産の殆どが不動産の場合は、相続人間の遺産分割争いを回避するための、「遺言」の活用が今後ますます増えることになるでしょう。
相続争いの殆どは相続による財産配分をめぐる争いであり、この争いを予防するための方法の一つが「遺言」です。「遺言」の主な役割は、故人が生前に子供たちの財産配分を指定することです。「遺言」の存在が明らかな場合、財産配分については原則、「遺言」で指定されている分け方、すなわち故人の指示に従わなければなりません。すなわち、財産を引き継ぐ子の意思に関係なく、半強制的財産配分が決められることになります。(相続人全員の合意によって別途遺産分割協議によって分けることも可能です)
遺言書の存在によって、遺産の分け方をめぐる時間の浪費と、争いになった場合の精神的な負荷を避け、すみやかに自分の財産に名義を変更することができるため、預貯金を引き出すことも財産を処分することも可能となります。
しかし、これはあくまで速やかに名義変更が可能であるという手続き上の話であって、子供たちが「自分亡き後も助け合って仲良くする」というのとは別問題であるということは認識しておかなければなりません。
一般的に「遺言」を書いたほうがいいケースというのは、子供の一方に数量的に偏った配分をしたい場合、せざるを得ない場合や、長男の嫁、世話になった知人など、相続人以外に財産を遺したい場合などです。別の言い方をすれば「遺言」とは親の子に対する思いを数量にあらわすということともいえます。例えば、「面倒をみてくれた、孫を良く連れてきた、病気がちだ、生活が大変そうだ」など遺言に影響を与える理由は様々です。
しかし、その「遺言書」の内容、親の気持ちを知るのはほとんどの場合、親の死後です。相続人である子供たちが親の遺言を目の当たりにしたとき、遺産の配分が親の気持ち(評価)と自分の期待(気持ち、自己評価)と乖離がある場合には複雑な心境に陥ることもあるでしょう。さらに「遺言」の形式によっては、有効、無効を巡って兄弟間で争うような残念な事態も起こりかねません。せっかく争いを予防するために遺した「遺言」が、逆に争いの種になる場合もあるのです。
望ましいのは残された家族が納得し、仲良く助け合って暮らすことです。家族のことを思い、「遺言」を残すのであれば、子供たちに財産配分の内容と理由を生前に伝えること、あるいは、元気なうちに自分の意思に従って子に贈与することも考えられます。また、揉める種を減らすために分けづらく評価のしづらい不動産などを生前に処分する事や、思い切って財産を遣いきってしまうことも考えられます。
「遺言」は故人の最後の遺志であり、故人による財産処分の権利です。しかし「遺言」は故人の一方的な意思であるということから、手続き上の問題は解決しても、残された子供たちが故人の遺志をどう捉えるか、仲良く円満な関係を築いてくれるか、とは別問題と理解したうえで「遺言」を書くべき、すすめるべきと思います。
もちろん、子供が過度に親の遺産を期待してはいけない、ということは言うまでもありません。
(著者:不動産コンサルタント 伊藤)